最も古いCM(コオペラティヴ・ド・マニピュラシオン)であるCOGEVI(シャンパーニュ域内生産者協同組合)のトップブランドである「シャンパーニュ コレ」。そのキーパーソンである人物がラウル・コレ氏であり、コレのシャンパーニュメゾンを立ち上げました。1921年、シャンパーニュを愛する、シャンパーニュ愛好家を満足させるため、優雅で繊細な真のシャンパーニュを追求したことがシャンパーニュ造りの原点となっています。コレはシャンパーニュ地方の中心に位置し、良質なブドウの産地として有名なAy村で作られています。Ay村は美味しいシャンパーニュを造るための必要な条件が完璧にそろっている土地なのです。グランクリュで産出された葡萄と、妥協を許さないコレ氏の姿勢が、洗練されたワンランク上の味わいを創り出しています。ガストロミーの皆様やミシュランシェフ、世界有数のソムリエたちからも一目置かれているCOLLETのシャンパーニュをあなたの傍に。
コレはシャンパーニュ地方のほぼ真ん中に位置するヴァレド ラ マルヌ地区にあるAy村にあります。良質なピノ・ノワールの産地として知られているAy村は、シャンパーニュ最高峰のピノ・ノワールを誇る特級村で歴史の古い有名メゾンが多くこの土地に本拠地を構えています。
コレの産地であるAy村はグラン・クリュ 17の村に認定されています。この17の村はいずれもモンターニュ・ド・ランス地区(Montagne de Reims)、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ地区(Vallée de la Marne)、コート・デ・ブラン地区(Côte des Blancs)の3地区に属しています。その中でも、Ay村は良質なピノ・ノワールの産地として知られ、歴史の古いメゾンが多数この地に本拠地を構えています。コレもその一つでコレ本社の裏側にはピノ・ノワールの畑が一面に広がり、その景色とともに口にするシャンパーニュは至福の味わいです。
フランス国内のぶどう栽培面積は82万ヘクタール(2007年現在) あり、そのうちシャンパーニュ地方のぶどう栽培面積は3万5208ヘクタールになります。シャンパーニュ地方に含まれる県は、マルヌ(MARNE)、オーブ(AUBE)、オートマルヌ(HAUTE-MARNE)、エーヌ(AISNE)、セーヌ・エ・マルヌ(SEINE-ET-MARNE)の5つあり、この中の指定された地域のぶどうのみを使って、シャンパーニュは造られます。また、シャンパーニュ地方では、村に格付けがされており、一番良いぶどうが栽培される村はグラン・クリュ(Grand Cru = 特級)と呼ばれ、それを100%として、ぶどうの取引価格に反映させてきました。自由化が進んだ今もなお、取引の基準となっています。
Champagne Colletは
COGEVIとともに。
物語はCOGEVIが創設される
10年前の1911年に始まります。
1900
【Year of revolution Champagne】
偽造品や産地詐称が横行した20世紀初め、生産者たちの利益を守るために結集し、1921年にシャンパーニュ地方初のCM(コオペラティヴ・ド・マニピュラシオン)、COGEVIを設立しました。
1921
«Champagne Raoul Collet»のブランド化
創業者たちの大胆さと活力により、COGEVIの最初の10年間は将来の成功のための基礎を築きました。当初より彼らは«UNIC»、«Champagne Raoul Collet»のように自身のブランドを作り商品化するという考えがありました。創立から5年で組合会員は200人を超え、多数の展示会に出展し多くの称賛を受け、10年も経たないうちにシャンパーニュ市場の主要プレーヤーとなりました。ダイナミックなコマーシャル戦略、革新的な広告、そしてワイン生産者の相互のコミットメントにより国際的にも急速に認知され、世界中で賞を受賞しました。
1931
様々な発足の時期
1929年の世界的な経済危機がワイン業界にも打撃を与えました。COGEVIは即座に反発し、COOPブランドの下で主要広告プログラムを通じて、老舗の«Cooperatives France»のサプライヤーとなりました。
COGEVIは見本市などの展示会への参加を続け、1931年と1938年のパリ国際植民地博覧会で金メダルを取りました。
第二次世界大戦中には1940年にドイツ軍がAyを侵略し、一ヶ月以上にわたってCOGEVIの敷地を占領しました。戦争中も、協同組合の活動行なっていました。2つの新ブランドであった«GastonDelière»、«Duke de Breny»は買収されました。1941年には、フランス国内外でシャンパーニュを推進し保護する目的のためにシャンパーニュ委員会(CIVC)が設立されました。
1951
【将来への基盤形成】
1950年代、Henri Macquart社長率いるCOGEVIは、不動産ポートフォリオを拡大し続けました。
La Maison Bissinger(La maidon COGEVi)と共にオーヴィエに新しい共同セラーを購入し、澱抜きの半自動ラインを導入しAyの施設の近代化を行いました。
これは、建設のための時間とビジネスのための大きな拡張を証明しました。
1970年には、1882年に採掘されたセラーの統合と機械の進歩により、135万本のボトルが出荷され、過去10年間で2倍の売上に増えました。
1971
【先見の期間】
1970年代の最初の石油危機はシャンパン業界を混乱に導き、売上が13%減少しました。それにも関わらず、協同組合はGuyFroux社長のもと、広告宣伝、プロモーション活動を行い、強固な商業活動の正当性を強く主張しました。
1990年代後半には、COGEVI社長のJacques Marquette により共同連合“Alliance Champagn”(COGEVIが世界のシャンパンの主要プレーヤーとして担うことを強化するため)が設立されました。
2001
【創造時代】
21世紀はCOGEVIの創立80周年を迎えたと同時に、構造開発や商業開発において強固な戦略がもたらされました。
新本社がAyに建設され、技術設備が近代化されました。とりわけ、協同組合はOgerに最新の生産設備を建設することを開始し、2004年に開設、2011年に大幅に拡張されました。(2700万ボトル収容可能)
創立100周年を迎える2021年は、協同組合は新しい時代に入り、思い切ってその歴史と専門知識についての沈黙を打ち破り、象徴的なブランドChampagne Colletの美点を提唱しています。